『偶然性・アイロニー・連帯―リベラル・ユートピアの可能性』(リチャード ローティ)についてのすべてのヨミメモ


リベラル・アイロニスト
 残酷さこそ私たちがなしうる最悪のことだと考える人びとが、リベラルである。自分にとって最も重要な信念や欲求の偶然性に直面する類の人物、つまりそうした重要な信念や欲求は、時間と偶然の範囲を超えた何ものかに関連しているのだ、という考えを捨て去るほどに歴史主義的で唯名論的な人を、アイロニストと呼ぶ。
私自身の指針に従うので、自ら取り替えてしまいたいと願う語彙に対抗して、議論を提示する用意はない。その代わり、私の指示する語彙を、さまざまなトピックを記述する上で、どのように使用したらよいのかを示すことによって、そのよ語彙が魅力的に映るようにするつもりである。
字義通りなものとメタファー的なものとの区別は、馴染みある使用と馴染みのない使用のあいだにある区別として理解する必要がある。すでに言語内にある一定の位置を占めている文と、そうでない新しい結合をともなう文。
 ニーチェ、デリダ、あるいはフーコーのような自己創造のアイロニストが求める類の自律とは、社会制度のなかにそもそも具体化できる種類のものではない。
 本書で提示される妥協は、〜、つまり、本物であることauthenticityと純粋であることを求めるニーチェ、サルトル、フーコー的な企てを、残酷さを避けること以上に重要な社会目に目標があるなどと考えさせてしまう政治的態度に転化することがないよう、私事化せよ、という示唆に。
私は私的な目標のために、あなたが現実にこうむっている苦しみ、あるいはひょっとしたらこうむるかもしれない苦しみに対する私の態度とは何の関係もない用語で、あなたやその他全員を再記述するかもしれない。