『身体のリアル』(押井守、最上和子)についてのすべてのヨミメモ

身体のリアル
押井 守、最上 和子
出版社: KADOKAWA   出版日: 2017-10-04   ページ数: 352

最初に公演ありきじゃなくて最初に身体ありき
個人には引き受けられないことを個人でやるしかない
壊れたことによって永遠に失われないものになった
そのときに完全に壊れることによって永遠に所有したということ
否定されたところから出発するのが人間
ヒュッとこっちに移ると身体全体が磁場みたいになっちゃうんですよ。だから踊り出そうと思うとこの辺の景色がすぐ変わっちゃう。
限られた舞台空間というところでは身体があまり活きてこないというか、前に守が言ってた比喩だけど、山のなかに生えている木を切って舞台の上にのせたらもうそれは元の木とは違うというか、山のなかに生えているときは存在感というか魅力がある木だったのが、切って舞台の上にのっけたら同じ木ではないんですよね。もう死んじゃってるというか。
演劇なんかはそうやって成り立ってると思うんだけど、その段取りのなかで身体がなくなっていくということが耐えられなくなって、
身体と霊性
踊ればそこはすぐ異界になる
そうするとやっぱり身体にいろんなことが起こって(笑)、不思議なんだけど面白いんですよ。ドターッと倒れて階段に身体をこすりつける人とかいたりして。
人間の身体というのも土地と離れたらもうそれは人体ではあるけれども身体ではない。トータルな身体ではないと私は思っていて、切り離された途端に身体はかなりなくなっちゃう、希薄になっちゃう。舞台というのは切り離さないと成り立たない
神社のときはね、境内のなかが広いじゃない? そうすると人がいないところで面白そうなところを探すとか、どうしてもそうなる。人が大勢いるところは避ける。だいたい人が多いところは面白くないの。もう踏み荒らされてるから。ちょっと裏とかに行ったほうが面白いから。
稽古のメインってなにかと言うと、さっき他界が入り込んでくるとかいろいろ言ったけど、「身体の内部」に入ってそれを踊りにしていくんだ、と言うのが他の踊りと全然違うということで。
だから動くというのが結構ミソなんですよね。それはどんな動きでもいいし、ゆっくりでもいい。ゆっくりの方が発見がいっぱいある。ゆっくりすればするほど中身が濃くなってくるので。身体の内と外って反対の関係にあるんですよ。
身体の内部というのは動きが多ければ多いほど止まって、空疎になるんですね。それで外がゆっくりでほとんど止まってる状態で動くと身体のなかがものすごい動く。逆なんです。この逆の関係がすごい面白い。だから大きい動きをだんだん小さくしていくという稽古もするんですよ。大きく動くのと同じエネルギーをもって小さく動けということをするわけ。最初は半分、これを同じエネルギー量でやる。次はこのぐらいにする。そうすると小さくすればするほど身体のなかがどんどん濃くなるんです。これはやるとしびれますね。人によっては身体のなかの動きがはっきりわかるのでものすごい喜ぶ。
西洋はそれを言語でやって、日本はそれを芸能でやった
こういうふうにしたいのをたったこれだけでやれと。これを「身体を殺す」と言うんです。そうするとなかがものすごく濃くなる。
「人間は全員違う身体をしています」
やっぱり失伝するんだよ、型だけ残って。型の意味がどんどん失われていく。
ただ型ってどうしても手順を覚えてガチッと決めて「決まったぜ」と言う感覚に走っちゃうんだよね。これはダメなの。キメキメの型ってじつは全然ダメでさ、バシッと決めるとかその人はなにもわかってないんだよね。「私ってなんてかっこいいんだろう」というモードになっちゃうと(笑)。確かにかっこいいからなりやすいんだけどさ。それを目指して作っちゃった方がいっぱいあるんだよ。意味のない型が。ただひとつの型から型へ移行する動きが一番大事なんだけどさ。
いまほど身体が必要な時代はない
身体が危ない
身体がない。
いま少なくとも都市に生きてる人間は身体なんかない。
「ぽっかり身体が半分になっちゃったんだよ。お父さんが生きてるときはあんなに嫌だったのに、死なれてみたら身体が半分になっちゃったんだよ」
身体が減る
明らかに穴としか言いようがない
生が見えちゃった
自分の肉体という意味じゃなくて、存在としての身体というか。それはね、あるんだけどいつもあるわけじゃないんでさ。失われたときに一瞬見えたりとか、あるいは外部のなにかに触れて官能が溢れたときに感じるとか、絶えず定常的にあるわけじゃないんだよ。
その奥にあるべつの身体
それを新たに獲得して作り上げていくという感じがすごくあるんですよ。
私たちは稽古したりしていくことによってその内と外の区別のない状態にどんどん近づいていくじゃない?
内と外の区別がないというのは、それが一番生きている状態だと思うんだよね。
「舞踏とは突っ立ってる死体だ」
ただ土方さんが言ってるのは自分自身が死体になるということだよね、外側にそれを作るんじゃなくて。
だからそれは社会性を持てないということと繋がるんですよ。物がないから。
ヒエラルキーという構造を持たない社会性というのはあり得ない
優先順位であったりとか、価値の基準からしていいものであるか稚拙なものであるかとかね、評価するというさ。
限りない言語体系が生まれるんだよね、物があるとね。
だから身体って面白いのは、例えばバレエを見るとか、能を見るとかっていうと前知識をみんなインプットされてるから、頭のいい人はいろんなことを言うんだけど、そういう前知識がなくていきなり——舞踏だと暗黒なんかだと前知識を持ってる人はいるんだけど――何もない状態で見せるとみんな沈黙するんだよね。なにを言っていいかわかんないわけ。それなりにつまんないと思う人もいるだろうし「あそこだけはすごくよかった」と思う人もいるだろうけど、自信がないから言わないんですよ、みんな。自分の感想が「わかってない」と思われたくない、みたいなね。
いきなり前提のない身体をドンと出されたときに語る言葉を持ってる人ってまずいないんですよ。
だからわかるようにするために衣装を作ってみたり、音楽をかけてちょっとだけ物語性を入れてみたりとかやるんだけど、そうするとそっちにだけ反応しちゃう。
ストーリーとか物語とかいうのはさ、要するに世界のあり方を了解するための一番原初的な方法のひとつなんだよね。
でも始まって終わるという物語に誰も責任を持たなくなったんでさ。それは最近の現象だよ。サブカルチャーと言われてる世界では確実にそうなんで、キャラクターしかない。誰もその物語を終わらせるという意欲がない。物語を終わらせる意欲がないということは世界を語ろうとする意欲がないということなんだよ。
物語がなければ人間は存在できない。
じゃあいまの時代の踊りってなにかと言えばさ、そういう花なんてないし、風でもなければ、人体が体操しているだけというほとんど8割ぐらいは体操なんですよね。
神との関係性がやっぱり踊りの最も基本だと思う
ヨーロッパの尻を追いかけてるの。もう身体表現者はみんな。それは下手なの。ヨーロッパ人より全然。もちろん骨格とか違うから。いまもまさにそれをやっているというね、いまだに。
私が踊り始めたきっかけというよりモチベーションの要素のひとつとして、人間じゃなくなりたいというのがあるんですよ。
どう考えてもできないですよね。
身体が透明になって消える
そこにいるんだけどいない、としか言いようがない状態になる。そういうふうになったときが一番気持ちいい。自分がこの世から消えてるような感じ。
普通にこの生きているなかに入り込んでいる死の世界というのがあって、それの体験かなと思う。
これは身体というある経験であって、必ずしも踊りということとはちょっと違う。
霊的なものを具体的に追求すると身体でしかできない世界がある。
西洋の場合は他界なり霊性なり神なりというのは全部言説の世界なんですよ。
身体表現の世界からは近代化以降霊性というのは完全に消えたんですよ。
「幽霊になったほうが生きられるじゃん」
足の下には死者がいる。
若い人間というのは身体が死をわかりにくくさせている
そういう死に続く世界を舞台上に一瞬だけでも成立させた
「私は花なんだ。どうだ」ということを見せたいんじゃなくて、人間は花になれるんだということを証したいんですよね。証明したい。人体という枠を離れて花になったり風になったりできるんだって。人間の内部ってこんなに大きくて自由なんだよというような、なんかそういうことなんですよ。みんな人体というこの枠を信じすぎてるというか。内臓があって、目鼻があって、手足があってという人体にとらわれすぎてるから、内部に入ると無限の世界があるから、その無限が外に顔を出したところを見せないんですよね。
「人間自体がバーチャルで、人間は生まれたときからずっとバーチャルで生きてますよ」
自分の身体でなにが起こってるか、やってるときはわからないものであってさ、人を見ることで同じようなことが自分にどこでどういう局面で起こってるのかわかるときがある。
動く上で一番邪魔なのが意識
それで目の前に焦点を合わせるのがなんでダメかというと、身体が小さくなる。世界が小さくなるんですよ。その人にとって世界がこれしかなくなっちゃうわけ。これは日常なんですよ。でも焦点を合わせないとこれがバーッと広がると。それでこれが目的意識を持ったものじゃなくなるということなんです。有用性の世界じゃなくなるということ。
その言葉を聞いただけで身体が変わっちゃうんですよ。だからすごく言葉が大事なの。「〇〇ちゃん、後ろの空間ないよ」と言うとその場でパッと身体が変わる。だから演劇の役者さんとかやればいいのになと思うの。いっぺんに身体が変わるからさ。
「あんたより先に空間があるんだよ、この部屋が、建物があるんだ」
普段は普通にやってても10分かけることで脱げなくなっちゃうんですよ。