『千の顔をもつ英雄〔新訳版〕上』(ジョーゼフ・キャンベル)についてのすべてのヨミメモ


危険な旅はさしあたり、何かに到達するための務めではなく再び到達するための務め、発見のための務めではなく再発見のための務めだったように見える
探求し、危険を冒して勝ち取った神の力は、実は常に英雄の心の中にあったことが明かされる。英雄は、自分が誰であるかを自覚するようになり、それとともに本来持つ力を行使するようになった「王の子」、つまり「神の子」であり、その称号がどれほどの意味を持つのかわかるようになった存在である。
召命が起こる環境として典型的なのが、うっそうとした森、大きな木、湧き上がる泉、そして運命の力をもたらす使者の、不気味で卑しく見える姿である。このような情景の中に「世界のへそ」の象徴が見える。
小さな龍といってもいい
また使者は獣の姿をして(おとぎ話ではよくあるように)、私たちの心のうちに抑圧された生殖本能を表す場合もあり、またよくわからない不可思議な姿、未知のものとして現れることもある。
夢でも神話でも、このような冒険では、案内人として突然現れた人物は抗いがたい魅惑的な雰囲気をまとい、人生の次の区切りや節目を記していく。
このあと英雄がいつもの生活にしばらく戻っていても、いつもの生活は充実していないように思える。
シュテーケル博士は、「夢というのはどれも、両性に惹かれる性癖を示す傾向がある。そのような性癖に気づいていなくても、潜在的に夢に隠れているものだ」と述べている。
自分が誰で何者か、不死身でなければ塵芥にすぎない、と思い出して生まれ変わろうとするところである。
女神は、神話の図像言語では、認識できるものの総体を表す。英雄はそれを認識するようになる人間だ。英雄が人生という緩やかなイニシエーションを進むにしたがって、女神の姿は英雄に合わせて次々と変容する。
中世ユダヤ教のカバラの教義では、二世紀のキリスト教グノーシス派の聖典と同じように、「肉になった言葉」は両性具有だとしている。イヴという女性の面が切り離されて別の形になる前の、まさに創造されたときのアダムの状態である。
「聖なる神——神に祝福あれ——は最初の人間を創った。それは両性具有であった」その人間から一部を切り離して女の形にするのは、完全なるものが堕落して二元性を帯び始めることを表す。これは当然、善と悪の二元性の発見、神が歩く庭からの追放へとつながり、さらに「相反する組み合わせの一致」を成す天国の壁が作られた。こうしていまや男と女に分かれた人間は、神の姿を見ることができないだけでなく、神の姿を思い出すこともできないのである。
サンスクリットの Avalokita は「見下ろす」を意味するが、「見られる」の意味も持つ。isvara は「主」したがって「(慈悲の心で)見下ろす主」とも「(内に)見える主」とも言える。
これが菩薩の持つ不思議の第一の意義、すなわち両性具有的性格の現前である。それとともに、明らかに相反する二つの神話的冒険が一つになる。それは「女神との遭遇」であり、「父親との一体化」である。イニシエーションを受ける者は最初の冒険で、男と女は(『ブリハダーランヤカ・ウパニシャッド』に書かれているように)「豆を二つに割った片割れ同士」だと知る。次の冒険では、父なる神が、性が男と女に分かれる前の存在であることを知る。つまり神を表す代名詞 He は便宜上の代名詞であり、「息子時代」の神話は削除すべき導入部なのである。そして両方の冒険で、英雄が探しに来たのは自分自身だったということがわかる(むしろ思い出した、と言ってもいい)。
自分の中に「永遠なるもの」があるというだけでなく、自分を含めて万物の真の姿が実は「永遠なるもの」であると知る人は、願望が成就する森に住み、不死の飲み物を飲み、永遠の協和音から成る耳には聞こえない音楽をどこにいても聞いている。これらは不死のものである。
この話では冒険は難なく成功した。それは英雄が特に優れた人間で、生まれながらの王だということを示す。これは、数々のおとぎ話や人の姿をした神々が登場するすべての神話の特徴である。普通の英雄なら試練と向き合うところを、神に選ばれた者は手間どらせる障害物に遭わず、失敗もしない。
最初の手順は、幻想における解除反応(私の身体の中はすでに壊された)であり、反動形成(私の身体の中には堕落するものや排泄物はない。堕落とは無縁なものや水晶が詰まっている)が続く。二つ目は「体の中に入ろうとするのは私ではなく、病原体を人々に撃ち込む異質の邪術師だ」という投射である。そして三つ目が「私は人々の身体の中を壊そうとはしていない。治そうとしているのだ」という回復である。しかし同時に、大事な身体が母から引き剥がされたという幻想の元々の要素が、治療の手法に戻り、患者に対して吸引、引き出し、拭き取りを行なうのである。
それからわたしは島の奥へ入り、宝物や宝石でいっぱいの泉まで来ました。するともう一人の「わたし」がダイビングスーツで潜っています。わたしは水辺に立って、自分を見下ろしました。