『結婚と家族のこれから 共働き社会の限界』(筒井淳也)についてのすべてのヨミメモ

結婚と家族のこれから 共働き社会の限界
筒井 淳也
出版社: 光文社   出版日: 2016-06-16   ページ数: 260

・日本の歴史
家父長制的な家族、父系の直系家族は10世紀以降から徐々に浸透
性別役割分業はモダンな現象で、近代化以降に普及
恋愛結婚は昔から
・日本の男女関係
古代→男女平等
中世・近世(江戸時代)→男性優位
近代(WWII終戦まで)→男性優位
現代→男女平等に近付きつつある
・日本の古代の婚姻の形式
対偶婚・・①排他的同棲の欠如、②当事者の気の向いている間だけ継続する結婚
妻問婚・・夜にのみ妻の住居を訪ねる
特徴→ 「家」がまだ成立しておらず、個人は共同体(村落共同体、支配層ネットワーク)に守られていた
単婚←→複婚
ジェンダー家族・・男女がペアになった家族
家族以外のネットワークへの「埋め込まれ」が家族依存を軽減する。
ex: 前近代社会、現代の一部労働者階級
フェミニズムの提唱→「母・子と、それをとりまく社会からのサポート」というあり方。特定の男性すなわち夫ではなく社会全体が子どもと育てる女性をサポート。
「父・母・子」というまとまり(=家族)ではなく、「母・子と、それをとりまく社会からのサポート」というあり方の模索。「産む性」としての女性が抱えている様々な問題は、もはやジェンダー家族によって解決される必要がない。子どもを生み、育てる女性が頼るのは、特定の男性すなわち夫ではなく、社会全体でもよい、ということ。
・「家制度」の成立とは
 村落共同体・親族集団に「母・子」が深く埋め込まれていた状態から、「父・母・子」というまとまり(家族)が独立していくプロセス。
 歴史上ほぼ例外なく、男性優位の社会体制と家族体制、すなわち「家父長制」を伴う。
 ex: 日本だと古代末期から中世(10世紀)から徐々に浸透。
・家長はなぜ男性か
 家長が男性なのは、武家において手柄を立てて「家」を確立させた者の力が価値を持つため。武家における手柄とは暴力行使(戦)であり、肉体的な強度すなわち男性の身体によって担われる。他方で農作業は男女共同の作業。したがって支配層である武家が家父長制の起源。
・単婚ないし一夫多妻へ
 武家は「父の子」を重視するので、女性の姦通が禁じられる。
 ex: 明治刑法下の姦通罪は、既婚女性と密通相手にのみ適用され、既婚男性には適用されなかった。「誰の子か」が問題であったため。(1947姦通罪廃止)。
・家父長制の成り立ちまとめ
 血統重視が原因。
 血統重視は、武家においては「先祖の手柄」(暴力行使=男)や「官職と家の結びつき」(武家貴族で男が持っていた政治権力が家庭にも影響)により要請された。基本的に、生産経済外の「不自然な」要請による。
 農家は生産経済上、共同作業のため血統は重要ではない。また商家も経営能力に血統は重要ではなく、優秀な社員、奉公人から選ぶ傾向にあった。
・「家の成立」と「権力」
 農業、商業、工業、サービス生産においても同様、個々人の才覚や共同作業の円滑な遂行が重要であり、血統すなわち誰の子かは重要ではない。したがって経済原理からは、血統重視と、男性支配、家父長制といった家族体制は演繹できない。
 家父長制とは、経済的生産の効率を無視し抑え込んでも、支配階層の男性が既得権を維持するため無理にねじ込んだ不自然な仕組みである、というのが筆者の考え。
 一般に、少なくとも前近代においては、生産力の論理よりも政治原理が幅を利かす支配層ほど、家父長制が厳しかった。
#メモ
 男を抑圧しても女の子供が誰かは確実ではないが、女を抑圧すれば女の子どもが誰かは明確になる、したがって血統重視は家父長制と親和的。
・明治時代、家父長制の、支配層から庶民への浸透
 明治政府による明治民法を通した非常に厳密な規定。家長=父に権限、財産=「家督」の権限。相続は嫡子=正妻から生まれた長男一人へ単独相続。妻が夫方の性を名乗ることが統一的に実施された。「戸主権」=家族メンバーの行動に関する決定権、も、家長がもつ。結婚は家長の同意なしには不可。居住指定権も。罰則はないが、家長の指示に従わない場合、家長は扶養義務免除される。正妻に男が生まれない場合でも、女子に家督は継がれず、男性養子か、認知された嫡外子へ継がれる。婚外子は認知されれば庶士、認知されないと私生子と呼ばれた。家督の相続は、女性嫡出子より男性庶子が優先された。
 大切なのは「父親の血を残すこと」。
・家父長制の合理性
 武家での家父長制は、武家の血統重視にとって「合理性」があった。
 明治期の家父長制には合理性はなかった。天皇頂点の支配体制を強化するという「政治的な」目的で、家制度が上から押し付けられた。
・家制度の危機
 明治政府指導の工業化により、自営業から雇用労働への移行が起こり、生産活動の拠点が家から会社へ変わる。労働者の血統の継承も問題ではなくなる。
・「近代家族」−性別分業の誕生
 親の家からの自由を手にした雇用労働者。
 しかしここで、女性の専業主婦化、女性の非労働力化が起きる。
 商、工、農という生産活動それ自体からは女性を排除しようという力学は生じない。
 「家」が廃れたあとでも、なぜ男性支配が継続したのか?
 1. 政治的理由・・家だろうが会社だろうが男性優位は変わらない!という発想から。工業化初期も男女で賃金差があった。
 2. 経済的理由・・家=自営の時代と異なり、職住分離が必要不可欠となり、家庭で子供を守る者が必要とされた。
・性別分業のピーク
 性別分業はモダンな現象。
 欧米はww2後の1950~60年代、日本は1970年代に性別分業がピークに達する。
「近代家族」とは・・親の家から経済的に自立し、夫は外で稼ぐための労働をし、女性は自宅で家事や育児に専念するという家族のかたちを、日本の社会学ではこう呼ぶ。
近代化は男性と女性を「家」から解放したのですが、女性は今度は「家」ではなく男性に従属するようになりました。
・女性の雇用労働への進出
 欧米主要国1960~70年代、日本1980年代から徐々に。
・近代家族(稼ぎ手が夫)の時代
広くとって19世紀〜1970年頃まで。
日本では1970年前後の比較的短い時期。
・近代家族の後は?
→ 共働き社会化、またそれ以外の不安定な家族(シングル子育て家庭)、単身者の増加。
→ 個人化(個々人の自由な恋愛、結婚、子育て、離婚の選択) とは違う。なぜならシングルペアレント、単身の人らの多くは、それを選んだのではなく「余儀なくされている」から。
・男女経済的自立し自由な人間関係の成立条件3つ
 安定した雇用
 家事育児サービスの充実
 高齢者支えるコストが小さい
・家事育児使用人の雇用は所得格差により可能となる
・家事・ケア労働の分岐点
 1980年代以降、経済先進国で経済成長がストップ→男性失業率増加
アメリカ→夫婦共働き本格化、所得格差を利用した家内労働の外部化。
北欧→夫婦共働き本格化、政府経由でのケアの供給。女性は行政委託企業でのケア労働に従事。性別職域分離。
・共働き社会の諸問題
→ 所得格差を利用したケア・サービスの調達(グローバル・ケア・チェーン)
→ 家族の維持が仕事になってしまう問題(賞賛も得られず独創性も必要とされないケア家内労働から、職場への撤退)
・世帯所得格差
 米、韓で、共働き社会によって、個々人の所得格差は縮小したが世帯所得格差は拡大している。ただし、共働き社会化に、「同類婚」の要件が加わっている限りにおいてこれが生じている。
・学歴同類婚
 女性が高学歴化して共働き社会が進むと、同類婚の傾向が強化されていく。
・Assortative Mating
 同類婚のなかでもら上位のもの同士から順にマッチングしていくこと。
・日本の税制の歴史
 所得税は明治時代から。1950年までは非分割の世帯単位課税。それ以降は個人単位課税。
・配偶者控除の成り立ち
 配偶者控除制度は個人単位課税を分割方式に近付けるもので、もともとは自営業家族の専従者控除(1952)に対抗して、専業主婦家庭の不利緩和のために1961に導入された。したがって共働き社会に対応した税制ではない。
・諸外国の税制の趨勢
 非分割の世帯単位課税から、分割方式または個人単位課税への移行が一般的。
 経済構造が家経済から男性稼ぎ手雇用、男女共働き雇用社会へ変化していったことを反映した制度変更。
・自由な親密性を阻害する3要因
1. 経済不調による雇用の不安定化
2. 家事・ケアサービスの調達問題
3. 仕事・家族の相互リスク化
・家族主義からの離脱
 仕事が家庭の、家庭が仕事のリスクになる不自由な親密性の世界。家族が最後のセーフティネットになるような社会は家族が失敗した時のリスクが大きい。
 解決のためには、仕事(民間経済)の領域でも家族の領域でもない、第三の領域、すなわち政府ないし非営利組織(NPO、市民社会、新しい公共、参加者の自発性)。
「父・母・子」から
「母・子・それをとりまく周囲のサポート」という単位へ。
所得の格差と親密性の格差はある程度連動しており、それは本章の最初で述べたような恋愛関係の「純粋さ」によって乗り越えられるようなものではありません。「純粋」な恋愛を通じて、力のある男性は力のある女性と結婚し、長期的にパーソナルな関係を築き、相手を特別な存在として扱い、何者にも代えがたい幸福を手に入れるかもしれません。しかし他方では、そうした機会を剥奪された人たちもたくさん生まれるでしょう。
・近代化
効率性←市場経済の発達
公正性←近代的政府
特別扱いの論理←国際社会の領域、結婚や家族の領域(愛国・家族愛)
・感情の不公正、公私の分離は避けられない。