nekotool さんのヨミメモ

『生き延びるためのラカン』(斎藤環) by nekotool

生き延びるためのラカン
斎藤 環
出版社: 筑摩書房   出版日: 2012-02-01   ページ数: 285

一般論じゃ有効な分析になりにくい。分析のほんとうの「答え」は、必ず治療関係の中で、一回限りの個人的なものとして「発見」されなければならない。
=だからフロイトは、欲望のおおもとにセクシュアリティをもってきた。なぜなら人間の欲望の中で最も個人的なものだから。
純粋なイメージなんてものは存在しなくって、イメージは常にシニフィアンから二次的に作り上げられるものだと考えられる。
 僕たちはイメージを事実に近く受け止め、言葉は虚構に近く受け止める。これはイメージや言葉の起源を考えると当然。
 鏡像段階からイメージに騙されてる。イメージ=実在物と。それを虚構化するには言葉が必要。
「意味」が分かるとは、そのことについてイメージを持つことができるということ。つまり意味は、イメージ的な認識で、想像界的。
位相的とは・・互いの位置関係が常に相対的に決まるということ。
想像界・象徴界・現実界の区分は位相的な区分でしかない。
去勢は欲望の対象物をファルス的なものにする。
いったん鏡像関係が生まれてしまうと、そこには強い愛と同時に、激しい攻撃性が生まれてくる。鏡像に自己イメージを理想を含めて投影し、同一化を試み、しかし同一化が進めば進むほど、自己の支配権、所有権を鏡像に奪われてしまうという不安や被害感も高まっていく。
対象a は
神経症者にとっては隠蔽されており(普段自分の欲望の原因については忘れて暮らしてる)、
性的倒錯者にとっては客観的に示されており(フェティシストは自分の欲しいものがよくわかってる。欲望の根拠、目標としてその対象を他人にも説明できる)、
精神病者にとっては実体化される(幻聴)。
・去勢不安
1. 自身のペニスが去勢されることへの恐怖
2. 母親にはペニスがないことを発見する恐怖
 この段階を卒業して、ひとは人間になる。
去勢を無かったことにする態度を否認といい、そしてフェティシズムは否認から生まれる(フロイト)。
 フェティシズムにおける否認は、イメージの否認。象徴的には、去勢は受け入れられている。しかし画像的なイメージは受け入れられない。ここには分裂がある。この分裂こそ、性倒錯の原因。
精神分析は解釈学的循環(先入観→理解→先入観→理解→...)ないし現象学と袂を分かつ。解釈学のような共感は、イマジナリーなもので、ナルシシズムの影響を受ける。他方、精神分析は象徴界によって分析する。
ピエール・ジャネ→解離概念
・フロイトが考えた2つのタイプのヒステリー
転換ヒステリー
 →心の葛藤が身体の症状に転換。一般的なヒステリー。
不安ヒステリー
 →外の対象に不安が結びつけられる。恐怖症という形をとる。
ラカンにとっての「神経症」
 ある形式の問いを発し続ける主体を神経症と呼ぶ。「問いの構造」として神経症を説明する。ヒステリーと強迫神経症があり、対になっている。
 強迫神経症は、「自分が存在しているかどうか(生きているのか死んでいるのか)」を問う。過度な潔癖症、几帳面、安全確認行為。死の恐怖を逃れようとし、死を望んでいるように見える。「存在への問いかけ」。
 ヒステリーは、性をめぐる問い。「自分は男なのか女なのか」「女とは何か」。「性別への問いかけ」とは、「関係性への問いかけ」(ジェンダーは関係性の中にしかないから。そしてあらゆる関係性は性的な関係性)。
「女性は存在しない」=「女性を言葉で明確に定義づけることはできない」
 男とはファルス(象徴的なペニス)を持つ存在。性は象徴的にしか決定されない。象徴界はファルス優位のシステム。
 男は象徴界においてファルスを中心とした「男はこれで全部」。女は「女性はすべてではない」。
 「異性愛者とは、男女を問わず、女を愛するもののことである」
・享楽とは
 快楽を超えた強烈な体験。激しい苦痛なんかも含まれうる。去勢によって禁じられたもの。快楽原則は享楽を抑制するための規則、象徴界の掟のひとつ。享楽は、去勢によって切り離された「存在そのもの」ともう一度合体するような体験。
 人の欲望は享楽から多大な影響を受ける。
 享楽には男女の非対称性が最も大きく現れる。
・3種類の享楽
「ファルス的享楽」緊張の鎮静化。射精。
「剰余享楽」溜まった状態のエネルギー。
「他者の享楽」究極の享楽。緊張の完全放出。
 性的な享楽はすべて、ファルス的享楽。
 男の享楽は、ファルス的享楽。
 女の享楽は、ファルス的な享楽の側面もあるが、他者の享楽という要因も大きい。この他者の享楽は、男性原理では理解できない領域。
腐女子の享楽。関係性が性愛的なものに変化していくダイナミズムを楽しむ。そこに自らの立ち位置は必要ない。自己存在を消し去るほど享楽も大きい。他者の享楽。
「ファルス的な享楽」・・・主体の立場を定めたうえでの享楽。男性の享楽。
「他者の享楽」・・・主体の立場を完全に抹消してはじめて可能になる享楽。女性の享楽。
「父の名の排除」
精神病(分裂病)について、象徴界が
故障した状態。
ヒステリー、神経症は象徴界に基盤を持つ。
精神病は、現実界に基盤がある。
精神分析は、常に事後的な解釈、いいかえれば後知恵の技術なので、まったく予測には向かない。
・位相的な三界の復習
 直接に認識したり理解したりできる「想像界」、直接には認識はできないけど分析することは可能な「象徴界」、認識も分析もでにない「現実界」。
 「コントロールできるかどうか」でも弁別可能。
 この三界は、階層構造ではない。上下関係、深い浅い関係ではない。
 精神病は、ボメロオの輪がバラバラになりかけてる状態。第四の輪でつなぎとめなくてはならない。それは例えば、エディプスコンプレックスという「心的現実」など。
 ママとぼくを邪魔するパパの役割を「父の名」、「父性隠喩」と呼ぶ。父の名が主体を「命名」する。象徴界に主体を位置付ける。象徴界への登記、登録。
 「父の名の排除」とは、第四の輪での繫ぎとめが働かず、精神病になる原因。父の名にかわる症状によって、ボメロオを繫ぎとめようとするのが、幻覚や妄想。
精神病的な芸術作家は、父の名の排除により、現実界と想像界が直接に結びついている。ボメロオの破綻を防ぐため、文体やなんやらで父の名の代わりをした。
 画家 フランシス・ベーコン、映画監督 デヴィッド・リンチ、漫画家 吉田戦車。
陽性転移・・分析家に対して優しい感情を持つこと
陰性転移・・分析家に不信の目が向けられること
権力関係を背景にした恋愛関係っていうのは、そのほとんどが発端は転移性恋愛。
 しかし、彼女自身は本当に、自分の問題のありかに気づいていないようにもみえる。 だとしたら正確には、僕と彼女との関係性において、無意識のうちに僕に何かが伝達され、それが僕の口から語られたと考える方が正確なんじゃないだろうか。つまりこれが、 自ら語っているつもりで、象徴界によって語らされているということなのではないか。 少なくとも僕はこのとき、はじめて自分が何ものかによって語らされる存在なのだ、 と自覚することができた。なるほど、僕は確かに、世界の結び目のひとつに過ぎなかった のだ。
 ポイントは2つ。複数の人が関係を持つこと。その関係性の中で、能動的と思われていた行為が、ほんとうは受動的なものだったことに気づかされること。そういう瞬間に、転移が起こっていると考えられる。
「欲望をあきらめるな」
ラカン
「罪があると言いうる唯一のこととは、少なくとも分析的見地からすると、自らの欲望に関して譲歩したことだ」
「欲望に譲歩してはならない」
「欲望をあきらめるな」
斎藤環による翻訳
「幻想に騙されて欲望が満たされたと錯覚してはいけない」ここでいう「幻想」とは、諸科学、心理学理論、カルト教義、あるいはラカンの理論体系そのもの。要するに、もっともらしい理論や物語を、あっさり信じるなってこと。