nekotool さんのヨミメモ

『人はみな妄想する -ジャック・ラカンと鑑別診断の思想-』(松本卓也) by nekotool


 神経症者は自分の享楽を大他者に差し出すことを恐れている。ヒステリーは自身が大他者の欠如であるファルスに、先取りしてなることによって、それ以上自分を享楽させないようにする。つまり、分離の操作に執着する。強迫神経症は、疎外を拒絶し、大他者に享楽する余地を作らせない(ようにできると思い込んでいる)。
 しかし、彼らは、疎外と分離をすでに経験している以上、そもそもはじめから享楽を喪失しているし、その時に去勢を経験しているのである。
 彼らは、「大他者の欠如」を、「大他者の要求」(という想像的な空想)と同一視すふ者たちである。
 彼らは去勢を経験しているけれども、去勢を想像的な水準で解釈してしまってるがため、享楽を差し出したり去勢されたりすることを恐れるのである。むろんそれは彼らの空想であって、去勢は既に終わっている。
 幻想を通り抜けること、ファンタスムを横断することにより、「大他者が去勢を要求している」という想像的な解釈をうちすてることができる。欲望の次元を開くことができる。
(p.298-303)
 精神病者は、神経症者と違って、「疎外と分離」のうち、「疎外」は終えてるが、「分離」を経験していない。だから享楽が局在化 localisation されておらず、享楽が大他者の場所に回帰したり(パラノイア)、享楽が身体に回帰したり(スキゾフレニア)する。
(p.296-7)