yuhr さんのヨミメモ

『歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化』(スティーヴン ミズン) by yuhr


全体的原型言語説を唱えるアリソン・レイは、話しことばのかなりの要素が、〝定型〟表現(ひとつのまとまりとして習得・使用される既成句)からなると指摘する。
このような慣用句の意味は、英語の語彙目録や文法の知識だけでは理解できない。
レイなど一部の言語学者は、〝単語と規則〟という言語の定義は書きことばの分析を過度に強調し、文法的に正しくない文が大半を占める日常の自然な発話への考慮に欠けると反論する。
彼らは、伝統的な言語学では、音声でのやりとりのリズムやテンポ——会話のとき、私たちが発話を同調させる仕組み——が軽視されてきたと指摘する。これは言語使用の基本的で普遍的な特徴であり、共同体の音楽作りともはっきりした関連がある。
私たちの範疇では音楽とも言語とも分類できない音声による表現様式を持つ文化もある。もっとも顕著なのはインドの宗教で唱えられるマントラだ。
私たちがこうした音楽を聴いて、演奏者とまったく同じように受け取っていると言うつもりはないが(すでに述べたように、同じ文化の人でさえ、自分たちの音楽をみなが同じように受け取るとはかぎらない)、音楽に異文化間コミュニケーションの可能性があることは、私たちもみずから体験しているはずだ。これは、音楽の深層構造のレベルに、表層構造には現れないような人間の精神に共通する要素があることと関係があるにちがいない。
話し手は、自分が身振りを交えて話していることに気づかない場合も多く、身振りを禁じられると話しづらく感じる。これは、音楽を聴いているとじっとしていられないのと似ている
よく研究対象にもなる特筆すべき音楽の問題に、体の同調化がある。なぜ私たちは、音楽を聴きながら指や爪先でリズムを取りはじめたり、ときに体ごと動かしたりするのだろう。
おそらく発話より書字に相当する楽器演奏
最初の話者ははっきりしたリズムパターンを打ちだすものであり、その後の〝円滑な話者交代は、(中略)発言の重なり(同時の発言)や気まずい「間」がないという単純な問題より、むしろ、リズム感に左右される。このリズム感によって、つぎの話者として最初の音節に強勢を置いて話しだすべきタイミングを予想できる〟。
《アーチャーズ》のテーマ曲が個々の楽音に分解されると意味をなさないように、定型表現は個々の単語や単音に分解されると意味をなさない。
中国の母親は、言語の規則を破り、世界的普遍性があり感情に訴えるIDSのメロディを四声より優先する場合もある。
バーナムらは、聞き手側の情緒面、言語面の必要に応じて直感的に話し方を調整しており、その手段として発話のピッチと感性情報を誇張している可能性があると結論づけた。しかし、赤ん坊を相手にしているときとは異なり、ペットに話すときは言語面の必要はなく、母音を明瞭化する意味がない。つまり、私たちがIDSで母音を明瞭化するのは、情緒面の必要に応えるさらなる方法ではなく、子どもの言語獲得をうながす目的でおこなっていると考えられる。