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『おんな紋―血縁のフォークロア』(近藤雅樹) by yuhr

おんな紋―血縁のフォークロア
近藤 雅樹
出版社: 河出書房新社   出版日: 1995-01-01   ページ数: 258

彼女たちが受け継いでいる紋章は、普通に私たちが知っている家紋とちがって、母系の紋章というべき性格を持っているのである。
「男紋は鯨尺一寸(三八ミリ)、女紋は同五分五厘(二〇ないし二一ミリ)位であり、最近は戦前に比べて女紋はやや小さくなってきてい」るという。
「正式の場合には、女紋は使われないようです。関東ではこれほど女紋のかげが薄いとは知りませんでした。関西とはあまりにも習慣がちがうのに驚かされます」
比翼紋とは、二種の紋章を若干かさねて描いたものである。比翼紋は、婚礼用の夜具にほどこされることも多かった。それは、男女の契り、家と家との縁組の成就をあらわしている。
男女を陰陽の関係になぞらえて地と図を反転させ、男性の紋章を「ひなた紋」、女性の紋章を「かげ紋」としたり、あるいは「菊花(表菊)」に「裏菊」を対置してモチーフを表裏の関係にしたりする場合もある。
家紋の図柄にかかわりなく、通紋を女性に使用させ、それを女紋といっていることもある。通紋とは、誰が使ってもよいとされている紋章で、代表的なものには「五三の桐」がある。
しかし、この紋章は、部分的なデザインの変更や、類似したモチーフへの置きかえが容易ではない。このようなとき、家紋とは関係なく「五三の桐」や「蔦」「揚げ羽蝶」などのなかから家紋の代用として使える紋章を選びだしたのである。
わが国において、紋章がもちいられはじめたのは平安時代のこととされている。
しかし、紋章がいわゆる家紋として意識され、集団の標識として重要な機能をひたすようになったのは、武家の台頭と時期をほぼ同じくしている。
家によってはいくつも家紋を持っていて、唯一正式の家紋を表紋、または定紋、正紋と呼び、そのほかを略式、あるいは、私的な家紋として裏紋、替紋、副紋などと呼んで使いわけていた。
しかし、母親ゆずりの女紋はそうではない。これは、あきらかに婚入した女性の生家を経由して女性の系譜をたどっている。しかも、女性が父方・夫方の紋章を使うことはないと説明されているのである。
東日本にはこのような習慣はなかったということである。
平山氏は、このなかで、母親ゆずりの女紋の伝承が確認できた範囲は、京都・大阪・奈良・三重・兵庫・岡山・広島の各府県に及んでいるとされた。
「母親ゆずりの女紋を伝承している例は、村の上流の者が多い。一般に普及した例は聞いていない」
関西では通常、女紋には◯を付けませんが、関東では◯のあることが多いようです。
これはひとり大阪の商家だけにかぎらず、農村においても地主層の家にはあった風習で、大阪府下にも中国地方にも近年まで継承されていた。
回答を見るかぎり、関東地方では、おおむね、女性は結婚すると紋章をかえるならわしで、生家の家紋や替紋を使うとする例は多少あったが、母親ゆずりの女紋は知られていなかった。
友人に聞いても、北海道(釧路地方)・福島・埼玉・東京・石川・山口・鹿児島の各都道県出身の人たちは、皆知りませんでした
豊橋市あたりでも、女性のための紋章は家紋の外輪をはずしたものが用いられていたのである。しかし、必ずしもそうとばかりはいえない。
「家内は山梨県の出身ですけど、その方面でも、女紋の伝承はないですね」
「名誉のため。女系を尊んで継ぐ」
母系紋も、こうして成立した副紋から出発したのではないか
男紋と女紋を一対のものとしてとらえると、両者の関係は、単に寸法の大小差に帰されたり、男紋の外輪を取りさるなど、変形・簡略化されたものとして理解されたりする。男女間における優劣の関係づけに帰した解釈もおこなわれてきた。しかし、じつは、このような対比による認識が、女紋の本質を見誤らせてきたのである。
女紋伝承のある部分には、男性排除の思想がひそんでいる。とくに、母系の紋章を伝えている女性たちのあいだには、彼女たちだけの世界がかたちづくられていて、男性が余計な介入をしてもらっては困るという意識があったのである。
母系紋を伝えている女性にかぎってみるなら、自分も母親ゆずりの女紋を使うのだということが、かなり早くから自覚されている。また、彼女たちは、概して、自身が受け継ぐ女紋に対して誇りを持っている。
互いの使用する紋章に対する無関心さ
男紋とは無関係に女性たちのあいだで単独で機能している部分があるらしい。かつて、女紋を使用する習慣には、女性たち自身によって独自の意味づけがおこなわれていたのではないだろうか。
女という生きものを奪いとってくるものであると、
女性たちは、いつまでも自分の臍の緒にこだわり続ける。だから、オスを自らの母系的な集団のなかに引きこんで、泳がせておこうとする。
母親ゆずりの女紋を伝えていく習慣には、女系の由緒を尊重して、あるいはこだわってというべきかもしれないが、どこへ嫁いでいこうとも、つねに女系の先祖に帰着しようとする意思があるように感じられる。
血縁の絆に対する甘えは、身内意識に依存して経済的には自立していない状況を巧妙にカムフラージュすることができる効果がある。若い夫婦は、身勝手な独立を夢見ながら、親の庇護のもとでぬくぬくとわがままをいうことができるのである。
しかし、この「血筋」という観念は、はたして、実体をともなっているのだろうか。じつは、これが強固な支配と被支配の関係を確立し、集団を統制するために意図的に創造された架空の概念であることに気づいている人は、決して多くはない。その頂点にあるものは、制度としての天皇(天皇制)である。
個人の主体性より集団の統括的な意思を重視し、優先させる構造
結婚式とそれに続く披露宴には、必ず「〇〇家 ××家 御成婚式 御披露宴会場」と墨書された看板と「〇〇家御控室」「××家御控室」などという表示があらわれるが、これなどは、人びとがあいかわらず封建的な家の観念からろくに脱却していない現実を反映している。結婚する当事者の名前はどこにも表示されないし、新郎新婦に共通の友人たちは、いずれかいっぽうの家から招かれた客として迎えられ、なかば強制的に席次を位置づけられている。
男女別姓の主張は、何ら個人の主体性を反映するものとはなっていないのである。
世間一般の表向きのものとはちがったレベルで展開している女性の世間づきあいがあり、そこに女紋が機能している
母系紋の継承者たちは、自らが継承している紋章に愛着を抱いているだけでなく、多くの場合誇りを持っている。だから、紋章をかえさせようとする婚約者や、その親族たちに対しては、婚約の破棄も辞さないほど強い抵抗を示し、逆に、翻意を求めて強靭な意思を披瀝することさえある。
調査結果にあらわれた諸種の道具は、いわゆる嫁入り道具であり、いずれも、女性が嫁いだ先で生涯使用するはずの品々である。
婚家と生家の関係を維持し、確認するためにも贈答儀礼は不可欠で、
紋章をほどこした道具を介して、人びとは相互の間柄を確認するのである。
嫁の持ちものは、所有者である女性の意思によって、娘や姉妹など身近な女性たちにゆずられたり、貸し与えられたりする。そして、最終的には、女性の財産は、着物をはじめ、多くのものが形見わけと称して近親者たちに譲渡されていく。
財産権と出自。このふたつは、おそらく不可分の関係にあると思われる。
女性が、男性とは異なる独自の紋章を所持し、行使することは、家長である男性の監督支配に全面的に従属した存在ではないことを示しているか、または、そうした意思の表明であると認めてよい部分がある。
そうそう、鏡掛けには、中央よりちょっと上の方に大きく紋をひとつ
「そうそう、女の人は紋をくずして使うことがあります。訪問着や色留袖などには、色々にアレンジすることがあるんですよ」
もっとも、母系紋の習慣の事例報告は、京阪神・山陽道筋を中心とした瀬戸内海沿岸部地方に集中していて、東日本からはあらわれていないから、
〇〇家と××家の縁組という看板には、お世辞にも母方の親族への思いやりがあるとはいえない。ただし、網野善彦氏が指摘していたように、おおむね、西日本では東日本より以上に、父方、母方双方の親戚を、頭数だけでもバランスよく配分することが大事だとする風潮はある。
すると、私たちが日ごろ顔をつきあわせて暮らしている家族という集団は、紋章というシンボルによっては、対外的には全く統一を保てないことになる。これは、紋章学の理解からすれば、紋章本来の機能に矛盾している。冠婚葬祭の場面において、夫婦の紋付の背中の紋章が別々であったなら、あかの他人がふたりを夫婦であると認めることは容易ではないだろう。
夫婦という関係にある男女は、血がつながっていないのだという事実
それぞれ別の血縁集団に所属している夫婦が、自分の所属を示すために紋章を異にするのは当然であるということになる。
女紋、とくに母系の紋章は、婚家ではなく、生家、それも、母方の親族とのつながりを確認し、強化するために存在していると考えるほかないものなのである。
この人が語る「わが家」とは、婚家の瀬川家ではなく、姫路市的形町にある彼女の生家のことである。
代々女が伝える家やった。瀬谷から、家紋がわからんようになってしもうてます。それで、今は何でも女紋でやってます。女紋が家紋になったもんか、今の私が使うてる女紋がもともとわが家の家紋やったんか、それとも、ずっと昔に、どの代かに養子にきた人が実家から持ってきた家紋が今使うてる紋なんか、今ではもう、私にもわからんようになってしもうてねえ
着物は、形見わけにおいて、魂の器として重視され、霊魂、ないしは、霊力の継承という機能をもっていたが、別の側面では、交換、売買の対象となる資産価値を持つものでもあった。
山形県の飛島などではそれを蛸穴といひ、良い蛸穴は財産であった。穴には(略)持主があつて、他人は遠慮をしてそこを取らぬだけで無く、親の蛸穴は子が相続して居た。それも母から娘へ行くのが普通といふ話があつて、
村落社会では、父方の系譜をたどるよりも、母は誰で、どこの人かといったように、母方の出自が重視されていた気配がある。
自我とも呼べない、近代以前の「ワタクシ」
丹波の山村で女のワタクシとよばれたものは、ヘソクリではあるが全く公然の計画で、主婦たちが家の仕事をすませたあと、よその家に手伝いに行ったり、夜なべに余分の俵を編んだりして得た収入をワタクシとよんで別に貯金し、自分の小遣いにして子供達のものを買ったりした。(略)ワタクシというのは抽象的な名辞として使われていたのではなく、つねに具体的な事物に即して用いられ、家族員の私的な貯えそのものをさす言葉としても使われていた。(略)薩南列島でいわれる女のワタクシとなると、現金ばかりか実家の親から分与された田畑とか、牛や豚など、だれの目にも明らかな財物まで含まれていたという。
それは、生家という存在のかげに隠れていて目だたないし、またいくつもの家にわたって展開しているためにその全貌が見えにくい。姉妹や従姉妹、たち、祖母と孫、伯母と名など、血縁関係にある女性たちによってかたちづくられているその組織は、また、母親ゆずりの女紋を受け継ぐ女性たちのあいだに認められるものは、その意味では、疑似母系制、あるいは、潜在的な母系制度とでも呼ぶべきものかもしれない。表面にはあらわれてこないアングラ・ネットワークであるともいえる。
「女紋を伝える理由は『死後、実家へ魂が帰る』といわれているためです」
『女、三界にして家もなし』
愛しあう男女が比翼紋をほどこした夜具のなかで睦みあい、死後も比翼墓に入る習慣があるいっぽうで、女性たちは、このように、生家、いや、なつかしい母親のもとに、いつまでも寄り添っていようとする。どこかで、かたくなに男性を排除して、母娘のあいだに特有な、ぬくぬくとしたふれあいを求めている部分がある。
その絆は、婚姻によって断ち切られるほど脆いものではなかったのである。
それは、すなわち、ゴッドマザーとなって君臨することに他ならない。換言するなら、始源の母となって、嫁いでいった娘たちが心のよりどころとする神聖性を帯びるということである。
「女紋を伝える理由は、私が母から聞いてたことでは『葬式なんかで親戚が寄ったとき、一度も会ったことのない人でも、同じ紋やったら血をわけた間柄や』っていうことでしたな」
婚家ばかりか、生家にもとどまらず源流をもとめて回帰しようとする気持ちのあることが認められる。
女紋は、江戸時代に家紋というものが整備されて後に登場したものなのだろうが、
人にはそれぞれ生きているあいだはその人の身体から遊離できないたましいがあり、その力を無視するものはかならず災厄をうけると信じられ、不可侵なるものを侵害したとして指弾され、集団の嫌悪と軽侮をうけた。ある事物は使用主の分霊が宿っているから、うっかり手をつけると祟りがあるとされ、特定の手続き、したがって呪術によって自らの分霊を宿らせれば、それでもって私権が保持できるといった、大きくいえば民族、実際には個々の村落や家族の成員共同の信仰によって、秩序づけがなされていたと考えられる。
母娘のあいだのぬくぬくとした絆への愛着には、この「ツバをつけた」という語感にこもる生理的なぬくもりが払拭できない。むしろ、それが強く求められているのではないだろうか。
所有権の標識を付与することは、ただちに自身の分霊をそのものに封じこめることをも意味していた。そのとき、標識のひとつとして採用されたものが紋章だった。そして、母親ゆずりの女紋は、単に個人の分霊を宿すにとどまらない、女性の霊力を継承するための象徴として機能することにもなっていったと思われる。
紋章の有無にかかわらず、故人が着用していた、まさにそのことによって肌のぬくもりがこもっていると感じられる着物は、人が袖に手をとおした時点で「ツバをつけた」と同じ効果が生じていたのであろう。
蚊帳は、遮蔽物であるがゆえに、結界とも感受されていた。雷が鳴ったときには蚊帳のなかに入るとよいという俗信があったことは、よく知られている。蚊帳は、魔性のものや、厄災を逃れるための呪具でもあった。
生命誕生の神秘を司るべく生まれてきた女性の、母親から娘への呪術的な霊力の継承という行為が具現化した姿
出産にあたり、女性が生家に帰ることは象徴的である。
娘が嫁にいくときに、母親が誰にも見られないように作っておき、「夫以外の人には決して手を触れさせてはいけませんよ」と言い聞かせながらそっと腰につけてやる。
編み、結い、組む、あるいは結ぶというそれらの行為は、髪を結う女性たちの本能的なセンスとも関係があるだろう。そうすることによって、強固に固定され、形態が安定することを知ったということでもある。不安定なもの、たとえば、魂をしっかりと体内に固定するためには、結ぶという行為が有効であると感得されたのだった。
紋が背中につけられるのには大きな意味があった。日本では古くから悪霊はみな人の背後から忍び寄ってくるものと考えられており、そのため背中も表と同じに表象することによって、悪霊の忍びよることを防ごうとしたのであった。
これによって見る限り、女性が使用する紋章のモチーフは、桐・蔦・蝶が一般的で、しかも、前二者が半数近くを占めている。
ほかには、桔梗・酢漿草・橘・藤・菊・梅・笹・桜・撫子・松葉など、さまざまな植物が登場する。植物以外のモチーフでは、鶴・扇・花菱なども散見される。
「桐」は、皇女が降嫁するにあたって、外戚になった証に贈られる下賜紋でもあった。
「桐は、女の子が生まれると植えたもの」
よく、蔦は、女の性を象徴する植物だといわれる。樹木にまとわりつき、からみつくその姿が、性の喜悦を与えてくれた男に魅かれていく女性の姿を比喩的に表現しているのだというのである。
「『撫子』は、宮家に秩父宮だったかが嫁いだときに、彼女の紋が『撫子』だったため、それ以来、紋帳から消されて庶民は使えなくなったものだそうです。戦後は、自由になりましたけど、そのようなことがあったためか、この紋は今でも少ないそうです」
あれは、母方の血統の表現ですねん。昔は、系図に女の名前は書きこまれへんかったもんやから、血筋の正しいことを表現するのに必要やったんですわ。女紋を見たら、本妻の娘さんか、そうやない人の娘さんか、すぐに区別できたんですわ
貴種への同化
姫君であることの証
ある意味ではきわめて自惚れにみちた尊大さ
女紋は、長者の娘、姫君であることの証、姫君の末裔につらなっていることを確認するよすがとなるものだった。
女紋によって、正室の娘か、側室の娘かがわかったという伝承者の発言は、直截に差別目的であることを示していた。
オオヤケを司るのが男性であり、ウチワを司るのが女性であるという性差に対応した役割分担が、紋章の機能にも反映しているのである。
かなりの財力を必要とするこの習慣が定着するためには、少なくとも、世情が安定して、今日的な感覚でいうところの中流階級が成立していることが前提であったはずである。
女紋という習慣も、こうしたバレンタインデーのチョコレートや節分の巻き寿司と同様、商業的に生み出されたものであったと考えてよい。
関西では女性が財布を握っている、関東では戸主が財布を握っている、ということに象徴されるような女性の発言権の強さの差が、関東地方に母親ゆずりの女紋の習慣を定着させなかった原因のひとつにあげてよい気がする。
貴種とは、外来のものであり、元来が土着のものではありえない。
村方の場合には、衆から飛びぬけた「長者」という存在が、ひとつのエリアを形成していて、こうした地域の長者の娘が嫁ぐ先を、そのエリアのなかで同格の家を探すことは困難であったから、必然的に遠隔地との婚姻をおこなわざるをえなかったし、そうでなければ、支配地域内の民に降嫁するほかなかった。このようなときに、母親ゆずりの女紋というものが必要とされ、成立することになったのではないか。
分布地域
女性による女性差別が女紋の本義であるとするなら、優雅な紋章のデザインは、陰湿な人間の本性をカムフラージュするための造花にすぎない。
率直にいって、女紋、とくに母系の紋章を伝える習慣には、自己の優位性を保持しようとして血筋にこだわるところから醸しだされる差別の意識が内在している。