yuhr さんのヨミメモ

『定本 夜戦と永遠 上---フーコー・ラカン・ルジャンドル』(佐々木中) by yuhr


「これはわたしだ」の純然たる喜び、イメージの輝かしい屹立の喜び。そこには一点の曇りもないはずだった。しかしその鏡の面に映える「わたし」は何かを失っていて、どこか死んでいる。
自己を想像的に同一化させる当の相手であるこの想像的な他者、ラカンが小文字で表示する小他者(autre)は、何か影のようなものであり、何かを欠損させている。おそらく、ここにはすでに「想像的ファルスの去勢」の前兆と呼びうべき何かがある。つまりファルスを持つ者になりたい、ファルスを「持ちたい」というのではなく、母の欲望の対象で「ありたい」、つまり「ファルスそのものでありたい」という欲望を切断する「去勢」、精神分析が長く自家薬籠中のものとしてきた「半ば殺す」こと、「〈もの〉の殺害」としての去勢の前兆が、すでにこの鏡像段階の第一歩にすでに浸透している。