yuhr さんのヨミメモ

『自閉症とラノベの社会学』(竹中均) by yuhr

自閉症とラノベの社会学
竹中 均
出版社: 晃洋書房   出版日: 2016-05-07   ページ数: 162

日常系ラノベの背後にあるのは、土井や草柳が指摘するような、関係性への畏れと敏感さです。
この種の登場人物について中西は次のように解釈します。日常世界の中に「他人に目をくれず自己の『欲望』のままに振る舞う」人物を登場させることによって、現実ではありえない刺激的な別世界を一挙に作り出せるのです。このことを中西は、「徹底的に空気が読めないキャラクターを配することによって、空気を読み合うことで成り立っている現実を別のすがたに変貌させる手法」と呼びます。「『ベタ』な現実の強い拘束を壊すために、そうした拘束をものともしないキャラとしてジコチューが選ばれる」のです
ここで彼女はクラブ活動を、社交性の養成という視点からではなく、特別な関心の追求という視点から推奨しています。クラブ活動の本義を考えれば、これは当たり前の話です。しかし、少なくとも日本の学校社会における部活は、社交性を身につける場として考えられている節があります。
自閉症スペクトラムの子の行動を好ましく変化させるには、おとなが、まず自分の行動をきちんとする必要があります。
自分が社会とつながっていない、あるいは、社会に包摂されていないという不安感が、パニックという振る舞いの背後に横たわっているように思われるのです。
〈誰かを傷つけたくない。と同時に、自分も他者から傷つけられたくない〉というのは、現代日本社会の若者にとっては(若者に限らないかもしれませんが)切実な欲求でしょう。
いわば不可能への挑戦であり、
「いま私がこの人とつきあいたい気持ちをもっているからつきあう、関係を結ぶことそのものを目的として関係を結ぶ、という関係」
自閉症のある若者たちのぎこちない友情と恋愛を描いた映画に『モーツァルトとクジラ』があります。そのエンディング近くで、男女の主人公たちは〈将来はどうなるか分からないが、今は一緒にいよう〉という感じで語り合います。これは「純粋な関係性」と言えますが、この箇所は、自閉症的な印象を与えます。